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松右衛門帆 ®とは江戸時代の海運業に大きな発展をもたらした革新的な織帆布「松右衛門帆布」を独自に再現し、

その製作者「御影屋(工楽)松右衛門」のようにさまざまな知恵・技術を集約して現代に通じる製品を創造するブランドです。

 

  

 


松右衛門帆布の特徴を説明する前に現在の一般的な織物の耳の構造を説明しましょう。

織物には、「耳」という部分がある織があります。

織物の両端にある本来の組織とは違う織組織で構成されている部分で、用途によって様々な役目を持ちます。ほつれや滑脱(織組織がほどけること)などの防止を担い、織布・染色工程で支障が出ないようにしています。

松右衛門帆においての耳は、滑脱防止と松右衛門帆同士をつなぎ合わせるなどの役目を担っています。

この中で重要な役割なのが「つなぎ合わせる」ことです。

松右衛門帆は織り目が大きいなどの問題から、帆布同士をつなぎ合わせることが非常に難しい帆布です。そこで、本来の松右衛門帆の織組織である2本引き揃えの平織りではなく、経糸を1本にして12本の糸を通す織組織にし、少し硬く織り目が詰まった組織にして容易につなげられるようにしています。

帆布をつなげることにより、大きな帆にして北前船などの大型船の帆に使用されていました。

織物の耳は、織物の顔とも言われ重視された時期もありました。ですが、基本的に捨てる部分ですので、実際に商品として用いられる生地としては使用できません。しかし我々は帆として使用されていた当時の松右衛門帆の再現度を重視した結果、あえてこの耳組織も再現するに至りました。

北前船などの大型船に利用されていた松右衛門帆の両耳組織は約一寸幅(約3cm)とされています。その他にも様々な松右衛門帆の生地幅、耳幅があります。1822年刊 大蔵永常著「農具便利論」の中でも「其中に船の帆を織て用ることを始められしが、今世に松右衛門帆と称して何国の船も用ゆる事とはなりぬ。」(そうしたなかに、船の帆を織るということはじめてなしたが、それが現在、松右衛門帆と呼ばれているもので、各地の船に利用されている。)と記載されており、各地で松右衛門帆が使用されている様子をうかがい知ることができます。ですので、現存している松右衛門帆がそれぞれ違うように小型船の小さな帆には狭い耳幅、といった具合に各々が使いやすいように松右衛門帆を改良していった一つの結果である、と解釈しました。

我々は神戸大学海洋博物館に所蔵されていた松右衛門帆を専門家の協力のもと独自に復元いたしました。

現在、鞄としての松右衛門帆に「耳」の部分はデザイン性などの観点から使用はしておりません。ですが今「耳」の組織を含めたデッキチェアなどの商品開発を行っており、今後、松右衛門帆の新たな可能性を模索し、様々な形での松右衛門帆を世に送り出したいと考えております。

 

 

松右衛門帆の特徴

 

松右衛門帆布の特徴として挙げられるのが、「見た目」です。

現在流通している服飾素材としての一般帆布と見比べても、その違いは一目瞭然です。

この見た目の違いは、織組織・糸の太さ・糸の撚り合わせ(何本かの糸をねじり合わせ1本の糸にすること)などによって生じます。

次に「厚くて丈夫の割に軽くてしなやか」という一見相反する要素です。

本来、帆布はその使用用途に応じた「柔らかく・軽く・薄い帆布」と「硬く・重く・厚い帆布」があり、規格に基づき区分されています。

1〜11号まで分けられ、数字が小さいほど硬く重く厚い帆布となり、数字が大きいほど柔らかく軽く薄い帆布になっています。(綿帆布規格表・株式会社タケヤリHP他より参照)

硬さや重さは糸の太さや糸の本数・撚り係数(ねじった回数)によって変化し密度や重量・厚みに影響します。

つまり、糸が太い・糸の本数が多い・撚り係数が高いとなると硬く重く厚い帆布になります。

松右衛門帆をこの規格に照らし合わせると厚みが規格外の「0号帆布」に相当します。

しかし、厚みの割には軽くしなやかな生地になっています。なぜでしょうか。

これは、「見た目」にも表れている織組織と糸の撚り合わせが大きく関係しています。

織組織とは経糸と緯糸の組み合わせであり、一般帆布は織組織の中で頑丈な「平織り」と呼ばれる織組織です。経糸と緯糸を1本ずつ組み合わせ布にしたもので他の織物のような複雑な模様はありません。

松右衛門帆は太さの違う経糸緯糸を2本引き揃えにし、平織りにしています。

(この織り方を「ななこ織」や「オックス」とも呼ぶ)

1812年刊の造船技術書「今西氏家舶縄墨記 坤(いまにししかはくじょうぼくき こん)」に「松右衛門帆と言うは、太糸を縦横二た筋づつにて織たる帆なり」と紹介されており、一般帆布と違うことが明記されています。

経糸には木綿糸の中でも太い糸である7番手(ばんて:糸の太さを表す単位。数字が小さいほど太い)の糸の双糸(そうし:2本の糸を撚って1本にしたもの)(3.5番手相当)を2本引き揃えに、緯糸に7番手双糸(3.5番手相当)を3本撚り合わせた(三子撚りという)極太糸を2本引き揃えにしたもので織組織を構成しています。

この太い糸たちによって0号帆布に相当する厚さや丈夫さを生み出しています。

ではなぜ、これだけの太い糸を使用しているのにも関わらず硬くなったり重くなったりしないのでしょうか。

それは、糸の撚り係数が少ないことや打ち込み本数の少なさです。

打ち込み本数とは面積当たりの経糸と緯糸の交わる箇所の数を表します。

一般帆布に比べて数が少ないのがお分かりいただけると思います。


下:松右衛門帆と一般帆布(平織り)の織組織規格比較
 

次に糸の撚り係数ですが、撚り係数を上げればその分糸が細くなり、打ち込み本数も多くなります。しかし、その分硬くなり、糸の密度が高くなるため重くなります。

糸のしなやかさを保つ程度に撚られた松右衛門帆は、柔らかさと軽さをキープしつつも厚くて丈夫という帆布としては矛盾している要素を成り立たせており、極太糸で経糸緯糸の太さの違うななこ織、という現代ではあまり見かけない独特な織り目を持った帆布になっています。

御影屋(工楽)松右衛門はどのようにしてこの「松右衛門帆」の考案したのでしょうか。

松右衛門帆以前、「帆布」というもの存在せず「帆」を使っていました。

「帆」とはつまり帆船に張られ風を受けるもの、であり風を受けられて船が進めばなんでもいいわけです。そこで風を受けるために様々なものが使われてきました。

藁や筵(むしろ)、麻布などで代用したもの、木綿が普及してからは木綿布を何枚かつなぎ合わせたもの(これを刺帆という)を主に帆として使用していました。

しかし、船が大きくなり移動距離が増えると当然それに見合った帆が必要となります。

筵では強風に耐え切れず、麻は水を吸って重くなり操舵性が悪く、刺帆はつなぎ合わせた部分の強度が弱く、帆のメンテナンスの為にたびたび寄港や停泊をする必要がありました。

しなやかで風をたくさん受けられ、水刷毛が良く、軽く丈夫な帆が求められていたのです。

そこで御影屋(工楽)松右衛門が発明したのが「松右衛門帆」です。

極太糸を使用した織り方を工夫し、厚みと丈夫さを両立させました。

また、綿の特性として水を通さず空気を通すので、当時の帆の素材としては最適ともいえたでしょう。

試行錯誤の末に生み出された「松右衛門帆」は他の何かで代用された「帆」ではなく、帆として作られた布「帆布」です。これは日本帆布の元祖とも呼ばれ(wikipedia「帆布」他より参照)日本の海運業に大きな発展をもたらしました。

現代に松右衛門帆布を復活させよう、と試みた際に困難を究めたのが基本となる極太糸が工業的に手に入らない事でした。

そこで、御影屋(工楽)松右衛門のように工夫を凝らし、要求される糸の太さを生産可能な糸で特注の撚糸機にて数本撚り合わせ、撚り係数を調節し独自に再現することに成功いたしました。

こうして、現代に類を見ないほど厚く丈夫でありながら、しなやかで軽い帆布「松右衛門帆」が蘇りました。

 

※参考
松木哲1998「松右衛門帆(MATUEMON:JAPANEAE SAIL CANVASIN19C)」海事資料館研究年報 26:1-10
高砂市教育委員会編(2013)「風を編む 海をつなぐ 工楽松右衛門物語」
みなとの偉人研究会(2008)「みなとの偉人たち 時代への挑戦・海からの日本づくり」ウエイツ
関川正彦・樽永著(2009)『歴史群像シリーズ特別編集 図解「江戸の化学力」』大石学監修 (株)学習研究社
高砂市史編さん専門委員会(2010)「高砂市史 第二巻 通史編 近世」高砂市
高砂市教育委員会編(2013)「風を編む 海をつなぐ 工楽松右衛門物語」高砂市教育委員会
「北前船」展実行委員会・新潟市立歴史博物館・兵庫県立歴史博物館編(2015)『新潟・兵庫連携企画展図録「北前船」』「北前船」展実行委員会・新潟市立歴史博物館・兵庫県立歴史博物館