松右衛門帆復活の経緯
工楽松右衛門はどのようにして「松右衛門帆」の考案したのでしょうか。松右衛門帆以前、「帆布」というものは存在せず「帆」を使っていました。
「帆」とはつまり帆船に張られ風を受けるもの、であり風を受けられて船が進めばなんでもいいわけです。
そこで風を受けるために様々なものが使われてきました。
藁や筵(むしろ)、麻布などで代用したもの、木綿が普及してからは木綿布を何枚かつなぎ合わせたもの(これを刺帆という)を主に帆として使用していました。
しかし、船が大きくなり移動距離が増えると当然それに見合った帆が必要となります。筵では強風に耐え切れず、麻は水を吸って重くなり操舵性が悪く、刺帆はつなぎ合わせた部分の強度が弱く、帆のメンテナンスの為にたびたび寄港や停泊をする必要がありました。
しなやかで風をたくさん受けられ、水刷毛が良く、軽く丈夫な帆が求められていたのです。
そこで御影屋(工楽)松右衛門が発明したのが「松右衛門帆」です。極太糸を使用した織り方を工夫し、厚みと丈夫さを両立させました。
また、綿の特性として水を通さず空気を通すので、当時の帆の素材としては最適ともいえたでしょう。
試行錯誤の末に生み出された「松右衛門帆」は他の何かで代用された「帆」ではなく、帆として作られた布「帆布」です。
これは日本帆布の元祖とも呼ばれ、日本の海運業に大きな発展をもたらしました。
現代に松右衛門帆布を復活させよう、と試みた際に困難を究めたのが基本となる極太糸が工業的に手に入らない事でした。
そこで、御影屋(工楽)松右衛門のように工夫を凝らし、要求される糸の太さを生産可能な糸で特注の撚糸機にて数本撚り合わせ、撚り係数を調節し独自に再現することに成功いたしました。
こうして、現代に類を見ないほど厚く丈夫でありながら、しなやかで軽い帆布「松右衛門帆」が蘇りました。脚注 Wikipedia「帆布」他より参照